脱 昭和の演歌
モリビトです。
前回、昭和の歌謡を個人的に記述しました。
誰にも思い思いの歌謡シーンがあると思われます。
今日は、演歌です。
演歌界の総売り上げは、サザンや安室などの超ヒットアーティストの一つのアルバムCD総売り上げと同じ程度だと聞いたことがあります。
まぁ、売り方も全然違うし、マスコミの影響力が違うし、購入層も違うし、金の流れが全く異なっていると感じます。
でも、昭和演歌は違っていました。私は1960年代より後しか知りませんが、少なくとも、平成に入る少し前、演歌は大変元気だったと思います。
レコードからCDにソフトメディアが移行する時期は、年末のレコード大賞も、歌謡界からのヒットは少なく、アイドル路線を継承したツケが散々な目を負いました。
しかし、演歌は地道なヒットを飛ばし、細川たかしや、サブちゃんなどいい歌を歌っています。そんな中で、私のお気に入りをいくつか紹介します。
はじめに、ご存知大御所サブちゃんから。
いろいろありすぎますが、「風雪ながれ旅」でしょう。
昭和の偉大なじょんがら三味線奏者の生き様を歌った歌詞とサブちゃんの声量は、もう圧巻です。紅白歌合戦の紙吹雪の中で歌うサブちゃんは、NHKのアーカイブでも音楽部門上位間違いなしの映像です。生で見られたことは宝物の一つとして心に刻みます。
ちなみにじょんがら三味線の師、高橋竹山のレコードも手に入れて聴いてみましたが、言葉が他にありません。素晴らしい、の一言。津軽の里山に響くじょんがらが染み渡ります。機会があれば聴いてみてください。
次は、石川さゆり。
なんといっても「津軽海峡冬景色」です。
アイドルといってもいい10代でこの歌をヒットさせ、演歌界の救世主だったのではないかと思っています。子供の頃、演歌って何?という頃にヒットしました。そのパンチ力、歌唱力は当然、さゆりさんのアイドル負けしない可愛さ。令和の今でこそ昭和のベテラン演歌歌手で名が通っていますが、実力と影響力は、演歌界の今、最大です。
最後に私の一押しは、八代亜紀です。
亜紀さんといえば、「舟唄」です。
個人的に、演歌、歌謡、アイドル問わず生涯ベスト10に入れる1曲は「舟唄」です。
歌詞のシンプルさ、亜紀さんの歌唱力、歌詞が醸し出す世界観。
高倉健主演の映画「ステーション」で、年末の居酒屋に立ち寄ったとき、大晦日紅白の「舟唄」が流れます。 いいです。 聴き入ります。あの雰囲気はわかるかなぁ。
それから、NHKで昔、色を扱った番組がありました。その中で、故郷八代を訪れた亜紀さんが、アカペラで「舟唄」を歌ったことがあります。 もう最高でした。紫色に染まる夕焼け空に向かって「生舟唄」を亜紀さんが歌います。生で聴けたら涙を流すでしょう。
ということで、昭和の演歌。昭和は歌謡、演歌、なんでもよかった。ということで年寄りのひがみを続けます。次は多分、フォーク。(うわぁーやめて、くさい)
脱線 ヒット歌謡のあれこれ
モリビトです。
今日は、本の話を脱線して、ヒット歌謡のあれこれを個人的に語りたいです。
昭和成長期を生きてきた人間にとって、昭和歌謡はとてつもなく思い出深いものでありますが、今日はそんな歌の歴史上に光を灯した数々の歌をあくまでも個人的評価で発表します。
ランキングはなし。
だって、思入れがそれぞれ違うから。
まずは、キャンディーズ。
思い出すのは後楽園サヨナラコンサート。
1978年というから、私は9歳。小学生でしたがザベストテンで流れた中継で、「微笑み返し」を歌っていたスー・ラン・ミキ(好きな順です)の3人が子供心に焼き付いています。自分史の思い出せる思い出の古いほうから5本の指に入ります。
さて、楽曲の「微笑みがえし」は言わずもがな。キャンディーズのヒット曲をちりばめて、なおヒット曲にするという2度美味しいヒット曲は後にも先にも知りません。「春一番が〜」と軽快な歌い出しですが、ファンなら絶対涙なくしては聴けない歌なのです。
忘れていたハートのエースが出てくるなんて、たまらない。
次は、山口百恵。
三浦友和との結婚を機に引退をした百恵ちゃんの、最後の、そして魂のこもった『サヨナラ』は、百恵これあり、といったイメージを焼き付けるのに申し分ない。
さよなら続きですが、昭和歌謡を牽引したスターは、最後が素晴らしい。
だからこそ、ここに挙げざるを得ないのです。
歌唱力は抜群なのに、まだ20代前半。しかも結婚を機に引退なんて、と子供心に不思議になりました。
武道館サヨナラライブは数々の話題を生みました。残念なことにテレビでしかみられませんでしが、それはそれ、時代の最先端のテレビで一部を共感できたことは誠にありがたいことです。
次に、アリスの「チャンピオン」
フォーク世代にもかかわらず、昭和歌謡の端っこで、フォークと歌謡とグループサウンドのヒットした時代を潜り抜け、満を辞して売れた3人組。数々のヒットの中で、アリスがアリスとして認められたヒット曲。かくいう私の一押し昭和です。
この後、アメリカで「ロッキー」がヒットし、チャンピオンとは違うボクサー物に光が当たりましたが、やはり昭和生まれは「あしたのジョー」でしょうか。
チャンピオンの歌に重なる。
さて、続きは今度。
3回ぐらい続けようかしら。
ロシアの痴話話
モリビトです。
小説、歴史探訪を離れて、ちょっと変わった作家さんにのめり込んだ話です。
タイトルから推測する人できるは、おそらく私と同じ趣味の人でしょう。
大袈裟に紹介したくないのですが、その筋のエッセイで大変好きだった作家さんは、
米原万里さんです。
彼女の翻訳家(ロシア民俗学者としてもいいのではないか)としてのエッセイはとてつもなく面白くて、ブラックな部分を大いに含みながら、ロシア愛を感じずにはいられない文書で迫ってきます。
かくいう私は、初めて海外の地を踏んだのは、ロシアです。
東欧諸国が次々と崩壊していった90’前後、私が彼の地モスクワに降り立ったのは97年の年末でした。すでにソ連からロシアとなって、数年経っていましたが国の経済はまだまだ安定せず、訪れた当時は商品が店舗から無くなりそうな時期でした。
そんな状況にもかかわらず、米原さんの本に影響され、また当時、世界遺産ブームが起き始めていた折に、エルミタージュをTV番組で観てしまったためでした。
ロマノフ王朝のインペリアルイースターエッグがこの眼で見てみたい。
(オルフェイスの窓『池田理代子 作』にも少なからず・・・影響を受けて。)
そうして、97’年末〜98’の正月にロシアへ向かいました。
当時、覚えたロシア語は、
「ズブラーストビーチェ、スパスィーヴァ、アジーン、ドヴァー、トゥリー、チトーリィ、グジェー、トワレット」
→「こんにちは、ありがとう、1、2、3、4、どこ、トイレ」
これだけです。大学の友人と二人でいったため、数字は4まででした。でも、これだけで十分楽しめました。
現地のロシア人は、大変、それはもう大変親切で、道に迷っていたら近寄ってきて、私が広げていた地図を覗いては、ロシア語で教えてくれました(全くわからない)。
そんな初期体験のおかげで、今でも私の外国の印象は、ロシアが思い出の中でも高い位置を占めています。
脱線しました。
米原さんの専門はロシア語翻訳です。ですから、翻訳と同時に、文化や話す人の背景までも理解しなくてはいけないということが、著作からしみじみ伝わってきます。まさにプロでした。こういった他文化に触れた人から、皮肉とユーモアで愛情を含めて異国民を紹介してもらえたら、もっと外国の人たちを理解でるのでないかと感じます。
米原さんは惜しまれて、2006年に亡くなられました。もっともっと、彼女のブラックユーモアやロシア愛が読みたかったと思う今日この頃です。
ミステリーで嫌いな事
モリビトです。
司馬遼太郎の「街道をゆく」、読み返してみると、いい加減に流し読みしていたのかが今更ながら気づきます。しかし、43巻ものシリーズを一々咀嚼して読んでいたら、多分、一生かかっていたかもしれないので、雰囲気を味わいつつも、読み終えたことは収穫であります。
さておき、「街道をゆく」と並行するように、読み始めた作家さんがあります。
ミステリー作家というカテゴリーではあるけれども、北村さんの立ち位置は、大変好ましいものです。
以前から、謎解きとはいかなることか、と疑問を抱えていながら、小説を読んだりテレビドラマを見ていましたが、ふと北村さんの小説を読んで、安心したことを覚えています。
そう、物語には殺人がほとんど出てこないのです。
これは、世の中のミステリー作家が殺人を媒体にしないと面白い話が書けないことを表しているんじゃないかとさえ思われます。
その点、北村さんの話は、まず、身の回りの謎解きがテーマにあります。本人もいろいろな場面でおっしゃっています。ミステリーは殺人ではなく、謎解きなのです。今朝、食べようと思っていた食パンがテーブルの上からなくなった、といった類の話でいいはずです。
そういった話が多く、読むようになりました。
北村作品の一番のお気に入りは、三部作「スキップ」「ターン」「リセット」です。
三部作を並べると塔が出現します。
時空ミステリーとでも言いましょうか、時点をテーマに異なる3つの話がとても印象的でした。他に「円紫さん」シリーズもとてもいいです。日常に起こる不思議なこと、あぁそう言えばあるよなぁ、といった感じ。
ただ「盤上の敵」については、殺人が絡んだのでちょっとだけ気分が良くなかったけど、話の組み立てはさすがだと思いました。
次は、小説から少し離れます。
歴史小説の大家
モリビトです。
高校生活も終わり、大学生になって小説の読書ペースはとんと減っていきました。学業に専念と言えばカッコがいいですが、むしろ遊んでばかりなのと、専攻する植物系の学術書などに注力していたためでした。
大学生生活後半に、ハマった読み物といえば、司馬さんです。はじめ、梟の城を読んで、歴史小説を続けて読んでみようかと思いましたが、「街道をゆく」の初版本(文庫ですが)をたまたま古本屋で手にしたため、そちらから読んでみようと思い立ちました。
「街道をゆく」は、全43巻の未完作です。私の生まれ故郷、尾張(名古屋)を歩く途中で倒れて、帰らぬ人となりました。「街道をゆく」はそもそも週間朝日の連載であり、小説でもなく本人が辞める気もなかったから、未完という言い方もないのでしょうが。
この初版本の装丁でデザインを描いたのは、なんと芹沢圭介です。そう言われれば、芹沢デザインの雰囲気が漂っています。司馬遼太郎が書いて、挿し絵を須田剋太が描いて、文庫の表紙が芹沢圭介。なんとも贅沢な文庫本です。この価値観は、わかる人はわかるようなぁ。
「街道をゆく」はNHKでも特集となり、俳優、田村高廣が司馬として語る独特な世界観が今でも、耳に残っており、あらためて読み返した時は、田村高廣の声と共に、朗読している気分になっています。
このシリーズは、どこから読んでもよく、気になる地方の街道を読んでは、なるべく順番になるように、後追いで番号を埋めていきました。
シリーズ全体を読み終わるのに、3年近くかかりました。
読み終えてから、大阪に行く機会があって、東大阪市の記念館にも足を運びました。
そこに積まれていた蔵書の山。歴史を、そして日本という国の成り立ちを見つめていた巨人の頭の中を見た感じがしました。
司馬遼太郎は私の中では、歴史小説家というよりも、歴史学者としての存在が大きくあります。「街道をゆく」の中で、司馬さんが分析する歴史の諸事に関して、思いもよらぬ視点から眺めてみたり、時には嫌ったり、そのように歴史を眺める事ができる能力に、ただただ感服している私です。
このブログを書くにあたり、また、読み返しをしています。
また3年ぐらい、司馬遼太郎の文書が頭から離れないでしょうか。
川三部作もいいけれど
モリビトです。
先輩の言葉と、テレビ番組のおかげで、高校生の間にいろいろ名作を読んでやろうと思い立ち、次に出会ったのが宮本輝さんの「螢川」。この作品で芥川賞を受賞してから、10年余り経って初めて文庫本で手にとりました。名作=芥川賞or直木賞という方程式をそのまま受け入れたわけなのですが、たまたま、作者のペンネームとタイトルに惹かれて手に取ったのであります。
高校では山岳部に所属して、夏の合宿登山では富山から北アルプスを縦走したのですが、「螢川」の舞台はまさに富山。今、居を構えるきっかけがここにあったのかと思うほど、宮本輝さんの作品を贔屓にしています。
「螢川」と並び、「泥の河」「道頓堀川」と川三部作も読みましたが、「螢川」は他の二作と違い、舞台が富山です。話の中身も、十代半ばの青春時代のキラキラ感と切なさがあって、とても好きな作品です。
川三部作とは違いますが、数年前に執筆された「田園発港行き自転車」は黒部川や富山平野を舞台にした話です。こちらも諸所の場面で黒部川が出てきて、私は好きなお話です。
「ドナウの旅人」も国は違えど、川を舞台にしています。水源の一滴から、河口までの雄大な話に、どんどん引き込まれました。
宮本輝さんといえば、自伝的作品である「流転の海」シリーズが大作ですが、こちらは、3冊目までで挫折しております。
また、宮本輝さんのお話は関西を舞台にした作品が多く、京都に3年住んでいたことがあるので、舞台背景がなんとなくわかり、宮本ワールドにますますのめり込んでいきました。
輝さんの作品で、川三部作もいいのですが、私見から次の5つを紹介します。順不同ですが、
「螢川」
言わずもがなです。
「優駿」
三冠馬シンボリルドルフがモデルとなっているという話。輝さんが時々用いる得意のオムニバスリ・レー形式では良き作品であるかと。
「錦繍」
二人の書簡を交換して物語が進展していく秀作。
「森のなかの海」
宮本作品では唯一、飛騨が舞台で、阪神淡路震災を経験した女性の生き様を描く作品。モリビトは飛騨にも住んでいましたので、お気に入りの一つとして。
「三十光年の星たち」
普通に生きている人々にとって、たとえ30年後に小さな成果しか残らなくても頑張る、という人生訓のような話で、若い頃に読みたかった話。
高校生の頃からほぼ全作品を読んできたので、人生の場面ごとに宮本輝さんの影響を受けています。現在は螢川の舞台となった富山に住んでいます。いまだ蛍の嵐に包まれたことはありませんが。
坂の町へ
モリビトです。
向田邦子さんを読み始めた頃、高校生となっていた私は、読書の時間が取れないまま、否、取らないまま、時間を過ごしていました。
たまに、星新一のショートショートを、通学の合間に読み、受験勉強をしていました。
そんな、3年を過ごしていましたが、当時テレビで面白い番組がありました。
「名作の旅」という日曜日の朝?に放送していたありがたい番組です。過去の名作と言われる作品の舞台となった土地の背景と作品の内容との関連を、旅番組として扱っていたものです。
例えば、「雪国」なら越後湯沢、「二十四の瞳」なら小豆島、「城崎にて」ならまさに城崎温泉、「武蔵野夫人」は武蔵野丘陵など、大正昭和の名作と言われる作品の舞台を巡って、作品を読みつつ、情景を感じながら旅しようというものでした。
あまりにも単純明快な番組構成に、当時の私は、「はぁ、そうか小説の舞台を感じながら読めば楽しいのか」と納得してしまいました。今で言うところの[聖地巡礼]です。
もちろん、高校生だった私は、名作の舞台に都度足を運ぶわけにいきません。果たして小説の舞台はどういうところなのか。
地図を見るのが好きだったので、トイレ(大)に入る時は地図帳を持って用を足していた私は、すぐに名作の舞台がどこか分かるようでしたが、如何せん、その作品の舞台背景、方言、食べ物、文化、名物が詳しく分かりません。
場所はわかるけど、そこがどういうところか。そうか、小説を読むことは、そのような悩みを解決するにもいいことなのだ。推理小説では、特に舞台背景はどうでも良いものが多く、その土地ならではの物という発想が欠けていたのです。
ちなみに、ちょうど時を同じくして 「人生二万冊」 という言葉を胸に刻みました。
ですから、とにかく、名作を読んでみようということになりました。
しかし、片っ端から読むには、ノルマを科しているような感じなので、まずは興味のある土地を作品にしたものから。
いきなり「暗夜行路」から。
志賀直哉の名作で、読み始めますが・・・
まったく、頭に残りませんでした。
舞台は皆さんご存知の 尾道 です。
尾道といえば、大林監督の尾道三部作が我々世代にとっての聖地ですが、昔から、名作の舞台だったわけです。
小説では「暗夜行路」、映画では「東京物語」など、メインであったり、一場面であったり。とにかく尾道はよく使われています。たまたま通っていた高校の修学旅行の行先にも加えられたのは、自分にとってもいい思い出になりました。
しかも、高校時代には、修学旅行と別に家族でも訪れており、まさに聖地巡礼を2回も達成したわけでした。後にも先にもこれっきり尾道には行っておりません。
尾道といえば、坂の町。坂を下ればそこは海、というロケーションばっちしの舞台です。
尾道を訪れるまでに行ったことがある坂の町は、神戸だけだったので、比べるとやはり尾道の勝ち(私の中では)。そうなると、他にも坂の町に行ってみたくなります。例えば長崎、函館など。
名作の旅、モリビトVer.はこうして始まりました。その後、折を見て様々な土地を巡るのです。そして、この番組の影響と「人生二万冊」の言葉のおかげで、名作を好き嫌いせず読もうという気になったこともありがたいことでした。