50からでもできること

知命50歳でも踏ん張ります

ロシアの痴話話

モリビトです。

 

小説、歴史探訪を離れて、ちょっと変わった作家さんにのめり込んだ話です。

 

タイトルから推測する人できるは、おそらく私と同じ趣味の人でしょう。

大袈裟に紹介したくないのですが、その筋のエッセイで大変好きだった作家さんは、

米原万里さんです。

 

彼女の翻訳家(ロシア民俗学者としてもいいのではないか)としてのエッセイはとてつもなく面白くて、ブラックな部分を大いに含みながら、ロシア愛を感じずにはいられない文書で迫ってきます。

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米原さんのロシア愛が感じられる作品

かくいう私は、初めて海外の地を踏んだのは、ロシアです。

 

東欧諸国が次々と崩壊していった90’前後、私が彼の地モスクワに降り立ったのは97年の年末でした。すでにソ連からロシアとなって、数年経っていましたが国の経済はまだまだ安定せず、訪れた当時は商品が店舗から無くなりそうな時期でした。

 

そんな状況にもかかわらず、米原さんの本に影響され、また当時、世界遺産ブームが起き始めていた折に、エルミタージュをTV番組で観てしまったためでした。

 

ロマノフ王朝のインペリアルイースターエッグがこの眼で見てみたい。

(オルフェイスの窓『池田理代子 作』にも少なからず・・・影響を受けて。)

そうして、97’年末〜98’の正月にロシアへ向かいました。

 

当時、覚えたロシア語は、

「ズブラーストビーチェ、スパスィーヴァ、アジーン、ドヴァー、トゥリー、チトーリィ、グジェー、トワレット」

→「こんにちは、ありがとう、1、2、3、4、どこ、トイレ」

これだけです。大学の友人と二人でいったため、数字は4まででした。でも、これだけで十分楽しめました。

現地のロシア人は、大変、それはもう大変親切で、道に迷っていたら近寄ってきて、私が広げていた地図を覗いては、ロシア語で教えてくれました(全くわからない)。

 

そんな初期体験のおかげで、今でも私の外国の印象は、ロシアが思い出の中でも高い位置を占めています。

 

脱線しました。

 

米原さんの専門はロシア語翻訳です。ですから、翻訳と同時に、文化や話す人の背景までも理解しなくてはいけないということが、著作からしみじみ伝わってきます。まさにプロでした。こういった他文化に触れた人から、皮肉とユーモアで愛情を含めて異国民を紹介してもらえたら、もっと外国の人たちを理解でるのでないかと感じます。

米原さんは惜しまれて、2006年に亡くなられました。もっともっと、彼女のブラックユーモアやロシア愛が読みたかったと思う今日この頃です。