歴史小説の大家
モリビトです。
高校生活も終わり、大学生になって小説の読書ペースはとんと減っていきました。学業に専念と言えばカッコがいいですが、むしろ遊んでばかりなのと、専攻する植物系の学術書などに注力していたためでした。
大学生生活後半に、ハマった読み物といえば、司馬さんです。はじめ、梟の城を読んで、歴史小説を続けて読んでみようかと思いましたが、「街道をゆく」の初版本(文庫ですが)をたまたま古本屋で手にしたため、そちらから読んでみようと思い立ちました。
「街道をゆく」は、全43巻の未完作です。私の生まれ故郷、尾張(名古屋)を歩く途中で倒れて、帰らぬ人となりました。「街道をゆく」はそもそも週間朝日の連載であり、小説でもなく本人が辞める気もなかったから、未完という言い方もないのでしょうが。
この初版本の装丁でデザインを描いたのは、なんと芹沢圭介です。そう言われれば、芹沢デザインの雰囲気が漂っています。司馬遼太郎が書いて、挿し絵を須田剋太が描いて、文庫の表紙が芹沢圭介。なんとも贅沢な文庫本です。この価値観は、わかる人はわかるようなぁ。
「街道をゆく」はNHKでも特集となり、俳優、田村高廣が司馬として語る独特な世界観が今でも、耳に残っており、あらためて読み返した時は、田村高廣の声と共に、朗読している気分になっています。
このシリーズは、どこから読んでもよく、気になる地方の街道を読んでは、なるべく順番になるように、後追いで番号を埋めていきました。
シリーズ全体を読み終わるのに、3年近くかかりました。
読み終えてから、大阪に行く機会があって、東大阪市の記念館にも足を運びました。
そこに積まれていた蔵書の山。歴史を、そして日本という国の成り立ちを見つめていた巨人の頭の中を見た感じがしました。
司馬遼太郎は私の中では、歴史小説家というよりも、歴史学者としての存在が大きくあります。「街道をゆく」の中で、司馬さんが分析する歴史の諸事に関して、思いもよらぬ視点から眺めてみたり、時には嫌ったり、そのように歴史を眺める事ができる能力に、ただただ感服している私です。
このブログを書くにあたり、また、読み返しをしています。
また3年ぐらい、司馬遼太郎の文書が頭から離れないでしょうか。