ミステリーで嫌いな事
モリビトです。
司馬遼太郎の「街道をゆく」、読み返してみると、いい加減に流し読みしていたのかが今更ながら気づきます。しかし、43巻ものシリーズを一々咀嚼して読んでいたら、多分、一生かかっていたかもしれないので、雰囲気を味わいつつも、読み終えたことは収穫であります。
さておき、「街道をゆく」と並行するように、読み始めた作家さんがあります。
ミステリー作家というカテゴリーではあるけれども、北村さんの立ち位置は、大変好ましいものです。
以前から、謎解きとはいかなることか、と疑問を抱えていながら、小説を読んだりテレビドラマを見ていましたが、ふと北村さんの小説を読んで、安心したことを覚えています。
そう、物語には殺人がほとんど出てこないのです。
これは、世の中のミステリー作家が殺人を媒体にしないと面白い話が書けないことを表しているんじゃないかとさえ思われます。
その点、北村さんの話は、まず、身の回りの謎解きがテーマにあります。本人もいろいろな場面でおっしゃっています。ミステリーは殺人ではなく、謎解きなのです。今朝、食べようと思っていた食パンがテーブルの上からなくなった、といった類の話でいいはずです。
そういった話が多く、読むようになりました。
北村作品の一番のお気に入りは、三部作「スキップ」「ターン」「リセット」です。
三部作を並べると塔が出現します。
時空ミステリーとでも言いましょうか、時点をテーマに異なる3つの話がとても印象的でした。他に「円紫さん」シリーズもとてもいいです。日常に起こる不思議なこと、あぁそう言えばあるよなぁ、といった感じ。
ただ「盤上の敵」については、殺人が絡んだのでちょっとだけ気分が良くなかったけど、話の組み立てはさすがだと思いました。
次は、小説から少し離れます。